「現実」についての人間の三つの神話
―― 「です」 「なぜなら … だからだ」 「私」「義肢サーファー作戦」開始!
医学博士 ジョー・ディマジオトム・タップ
スーパーマンにはクリプトナイトという弱点があった。アキレスの弱点は踵だった。私たち人間の弱点は、「~です」「なぜなら…だからだ」「私」という三つの神話だ。この神話三部作が居座っているとき、本来なら人間という存在に提供されているはずの自由とパワーと次元性とが阻害される。そのとき力を振るうのは、人間ではない。状況だ。
神話三部作はどのように作用するか
- 「です」(または「である」)は、「固定された、既に確定した」世界がそこにある、ということを示唆する。つまり、物事は「そのように存在する」のであり、私たちに提供されている唯一の選択肢は「順応」だ。
- 「なぜなら…だからだ」は、「原因と結果(因果関係)」というモデルがすでに定着していることを示唆する。つまり、一つのことが別のことの原因となっている、というモデルだ。出来事を妨げたり発生の順序を変えたりすることは論理的にありえない。そして私たちの唯一の選択肢は「順応」だ。
- 「私」という神話は、人間がいま「自分だ」と見なしているものが実際に「自分なのだ」と示唆している。ところが実際は、その「私、自分」とは、ずっと昔に思わず下した決断の集合体にすぎない。何かをすることに失敗したか、何かで在ることに失敗した時に、それに対処するための決断の集合体にすぎない。私たち人間はそれを「真実絶対の自分なるものの本質」だと思っている。そしてまたもや、私たちの唯一の選択肢は「順応」だ。
しかし、神話は神話に過ぎない。「現実」とは、固定したものではなく、言葉の中に立ち現れる現象だ。理解という背景から、一瞬ごとに何らかの意味が「現れて」くるのだ。いま、世界が人間にとってどのようなものとして「現れて」いるのかーそれもまた、言語の中で命を得ている。ここにこそ、人間の力を回復させるアクセスがある。物事のありように関する昔からの想定や、「そうであるはずだ」という人間特有の考え方などを白日の下に晒し、分解することができる。現実とは、宣言や解釈によって作られ、行動によって働きかけることが可能なものだ。そして、それを「何と呼ぶか」は人間が決定できる世界だ。この認識によって、世界との関わり方が一変する。単に違うものの見方ができるようになるだけではない。言葉で変化させ発明しうる世界への扉が実際に開くのだ。そしてトランスフォメーションはそこにこそ存在する。

