自分を超えた大きなことに取り組む

自分を超えた大きなことに取り組む

スティーブ・ザフロン
ヴァント・グループ 元CEO

私たちのあらゆる直接的体験は、私たちが宇宙の中心であるという見方に賛同する。世界はこの私の前に、後ろに、右に、左に広がっているではないか。他人の考えや感情は、伝えてもらわない限り分からないが、自分の考えや感情であれば、そこに直接的で差し迫った現実としてあるではないか。*

人間は、世界のどこにいても基本的に、自分のいるところを常に「ここ」と呼び、自分以外のものがあるところを常に「そこ・あそこ」と呼ぶ。自分自身は「この中」に、それ以外の全ては「外のあそこ」に位置すると見做すのは、人間にあらかじめ組み込まれている習性であり、それは私たちを、人生に対する傍観者とでもいう位置に置く。

私たちはよく、「私」というものを、自らの内部で進行していること、つまり様々な態度や気分、気持ち、感情、思考、身体の感覚などとして見る。また別の折には「私」なるものを、なんらかの理論や観念、記憶、信念などのフィルター越しに捉えようとする。しかし、これら自動的に組み込まれた場所に留まっていては、人間という存在に差し出されている可能性の全貌に触れることができない。内部で進行していること全てを置き去りにしたいわけではない。気持ちや理論やその他のものから成り立つその領域全体を、現在とは異なる形で保有したいのだ。日々の暮らしの中で遭遇するものが、これらによって限界づけられるのではなく、むしろ、これらによってより生き生きと照らし出されてくるように。

私たち人間が、自分自身や人々や世界に対する今現在の関わり方をトランスフォームするのであれば、そのためには、あらかじめ組み込まれている方向性からの劇的脱却が必要になる。そして、自分自身を超えた何か大きなことに全身全霊で取り組んでいるとき、自分の内部で進行していることは、それほど重要ではなくなる。そのとき、これまで自分であると思ってきた「自分」に限界づけられることなどなく、むしろそこに、「存在」と「行動」のための様々な機会が力強く姿を現わす。世界も、世界を構成する様々なコミュニティも、私たちが「私」と呼んでいるものも、どれも実際には「中のここ」にあるのではなく、人生という「コートの上」にあるのだということを認識するとき、私たちはより豊かで大きなゲームを選択する自由を手にする。そのとき私たちは、この自分よりもはるかに大きな可能性の呼び声に応えよという要請にさらされているのだ。

* 訳注) デビッド・フォスター・ウォレスによるオハイオ州ケニオン大学の卒業式での祝辞から翻案。(デビッド・フォスター・フォレスターはアメリカ・ニューヨーク州イサカ出身の作家。2008年死去。ウィリアム・T・ヴォルマンと並んでピンチョン以降のポストモダン文学の旗手の一人と呼ばれた)。

スティーブ・ザフロン
(ヴァント・グループ 元CEO)

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