記事 新しい地平線 – 可能性の領域
我々の行動や振る舞いを制限するものとは?それらを超えて、新しい可能性の領域を手に入れるには?
ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
デイビッド・カニングハム
人間が産まれたときから手にしているマップは、たいてい、代々受け継がれてきたもので、それぞれの人が属する文化の奇妙な特徴や決まりごとを映し出している。私たちは往々にして、そのマップの基本条件によって定められた限界の中で、どこか歪みのあるレンズを通して物事を見ながら生きていくことになる。
物事を「これが、そのありのままの姿だ」として受け入れてしまうと、私たちは限界づけられた現実の中に自らを閉じ込めて生きていくことになる。すると自己に近づくどころか、ますます遠ざかってしまう。
ジェイムズ・ジョイス(*1)はこの人間の基本マップを異なる視点から眺めていた。「誤謬(ごびゅう)(*2)を通じて真実に至るもの」と捉えたのだ。ジョイスにとっては誤謬とは、「意思を働かせるきっかけ」であり、また「発見への扉」だった。その意味するところは、特定の風景の中を流されていくことではなく、現実という発明物に到達するべく想像上の空間を漂っていく、ということだった。
私たちが何を行うか、どう振る舞うかは、「物事がどうであるか」に相関しない。つまり「固定した世界」に相関するのではない。世界が、各人にどのようなものとして起きているかに相関している。また、現実の起き方・現れ方は、各人が現実に対して持っている「会話」に左右される。
私たちにはほとんど、物事のありようは自らの会話の産物であるということが見えていない。(またその会話が、価値観や限界や日々の暮らし方を決めていることにも気づいていない。)会話は自分がそこに置いた「作り物」であるということが明らかになるまで、このことに気づかない。
背景に隠れた会話がシフトするとき、世界に対する理解の仕方を組み立てる、あの「基本マップ」もシフトする。
すると私たちは、新しい仕方で感じ始め、考え始める。あらゆる所で、これまでの境界が動き始める。予想だにしなかった方向性、驚くべき関連性、新しい地平線が立ち現われ、それらがまさに可能性の領域となるのだ。
「地平線に何があろうと、我々の視界を塞ぎはしない。地平線は、その先に横たわるあらゆるものへの入り口なのだから。」
–– ジェームズ・カース(*3)
<< 訳注 >>
*1 ジェイムズ・ジョイス(James Joyce、1882年–1941年) 20世紀の最も重要な作家の一人と評価されるアイルランド出身の小説家、詩人。小説『ユリシーズ』(1922年)は、新しい文体を創始し、表現の可能性の極限に迫ったといわれる傑作。
*2 誤謬(ごびゅう) まちがえること、まちがい。思考内容と対象とが一致していない考え、判断などをいい、真理の反対語。
*3 ジェームズ・カース (James Carse) ニューヨーク大学名誉教授。歴史学・宗教学。代表的な著書は、”Finite and infinite games”(Random House, New York. 1986)、”The Religious Case Against Belief” (Penguin, New York. 2008) など。
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