前進か停滞か、その分かれ目にあるものは?

ランドマークワールドワイド

ブレークスルーテクノロジーコースリーダー

アンジー・マティングリー

物事をどう描写するか、何と呼ぶか、どう保持するか、どう考えるか——私たちの人生はそのような枠組みの中に姿を現します。可能性を制限する「事実」など存在しません。何が可能かを限界づけ阻む「会話」、もしくは、何が可能かを創造し前進させる「会話」あるだけです。

 

 

 

 

「コップは半分空っぽ」派は、何かが悪い、あるべきものが無い、つまり何かが欠けていることを問題視する方向に傾きます。「コップは半分入っている」派は、実際にコップの中に在るものに注目し、それをどう役立てられるか、など、「可能性としての欠落」として接します。

可能性を創作するとすれば、それは選択の問題であり、どのように言うかのこと、それだけなのです。自分で自分を制約したり限定しているようなところ(それを知っていようがいまいが)を超えて、人間であることの可能性とは何かを発見していく、ということです。

何かの欠落をひとつの可能性として創作したとき、私たちは選択地点、コミットメントの地点を定めたことになります。すると物事が、行動への誘いとして現れ出します。