ああ、愚かなり、人間よ…

ランドマークワールドワイド

ブレークスルーテクノロジーコースリーダー

ゲイル・ルガシック

 

 

 

 

 

 

(ああ、愚かなり、人間よ!かくも死に物狂いに、確実さを追い求めるとは!)

時々、この世の仕事はたった一つしかないのではないかと思える。それは、深く根を張る揺るぎない確かさから、自らを優しく(または、さほど優しくなく)引き剥がしてやること。もしかしたらあなたも、ついに見つけたと、絶対の確信を抱いたことがあるかも知れないーー決してあなたを裏切らない最愛の恋人や完璧な金融アドバイザーを、または完璧なメンター、瞑想法、治療法を。それからどうなったか? 結局は、徐々にそれほど確かではなくなっていった。「何が現実であるか」への私たちの足場は、かくもつるつると滑りやすいものなのだ。*

* 『オプラ・マガジン』(2008年11月号)に掲載されたエリザベス・ギルバートによる記事。「エリザベス・ギルバートが確実性について確実に知っていること」より抜粋。

私たちは現実を構築します。そして構築したのが自分だということを忘れてしまいます。現実と自分との関係に「〜である」とか「〜に決まっている」という質があるとき、それは何が可能であるかを制約します。そこで許容される選択肢は、説明、直す努力、抵抗、受け入れる、のいずれかです。「人間であることは何を意味するのか」という質問への答えも、そのレンズを通してしか見えてきません。映画『マトリックス』曰く、「現実の砂漠へようこそ」。

良い知らせは、「現実」が言葉の中に立ち現れる現象であることです。世界は話しません。私たちだけが話します。これを知っていると、当たり前だとしてきた様々な現実に揺さぶりをかけることができます。そのことがレンズやフィルターやマインドセット自体を取り除くことはありませんが、それらによって、私たちとは何であるのかが規定されることはなくなります。「ザ・現実」が揺らぎ始めたときこそ、私たちは、物事がどのようであり得るのか、自分たちが何を想像できるのか、に興味を持つようになるでしょう。新しい世界、新しい可能性が開けるのです。