自分自身であることに完全にくつろいでいる

ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
バルヴィンダー・ソーディ

「アイデンティティ」、つまり私たちが自分だと見做しているものは、基本的に自動的にたどり着いたものだ。何か間違っていると思われることや、何か不十分と思われることに適応するために組み立てられたものなのだ。大抵は、まだ年若く、人生への対処法を学んでいる頃に遭遇した何らかの状況を切り抜けるために、私たちは何らかの決断を下す。その決断が、当時は有効だったのでそのまま保持される。図らずもそれが今の私たちがどのような人間であるかを定義してしまい、その結果私たちは常に、自分自身に対して十分にくつろぐことができない、微かな不協和を感じることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私のアイデンティティがこれほどまでに「私」に覆われていなければいいのに。」

その昔、自分が組み立てたさまざまな在り方の集合が自分という人間であるかのように振る舞うこと自体にある種の不条理がある。ひとたびアイデンティティの正体が見えてくると、それは固定も確定もされておらず、私たちはそのあり方に縛られているわけではない、ということも明らになる。とはいえ、自分のアイデンティティの外側に踏み出すのは容易ではない。というのは、これまでの人生を通して、私たちのアイデンティティは一定の重みを獲得してきたからだ。自分が思っている自分という人が、実は、絶対的なものでなかった、と認識することにより、私たちは人間であることの可能性を露わにする。それは私たちに、変幻自在で発明可能な世界への実際的なアクセスを与えるのだ。