可能性への冒険

ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
ゴパール・ラオ

往々にして人間には心地よい方、馴染みある方、安全な方へと向かう傾向があります。しかし、そちらに向かうと、前進や、人との親密さ、冒険などの機会を逃してしまうばかりか、それらを放棄してしまうことすらあります。私たちは、自分がなぜ行動を取らないかについていろいろ説明します。想像しうることや創作したこと、コミットしたことに取り組むよりも、それらを避ける方が楽だと自らに言い聞かせます。このような決断は、一見自由であるかのように見えるでしょうが、実際には、私たちの可能性に限界を課します。さまざまな事情や心配事に囚われているとき、私たちは可能性を見失い、妥協し、つまるところ今の状況にただ順応するだけになってしまうものです。文学で繰り返し取り上げられる主題は、愛、喪失、アイデンティティ、野望などですが、そのどれにも増して豊かで人を夢中にさせるものは、「後悔」というテーマです。(何かの行動を取らなかったこと、始めなかったことに対する後悔や、何かを表現した、または、しなかったことへの後悔や、自分の人生を存分に生きていなかったことへの後悔などです。)

パワー、有能さ、自由などの可能性が見えたとき、自分にはその可能性に応えられないのではないかという心配が生じます。自信の欠如と消極的な態度は同時に生じます。しかし、ブレークスルーを創り出し、一歩踏み出し、新たな境地を切り開くために絶対に欠かせないのは、普段の馴染み深い会話を中断することなのです。どこから始めるのか正しい場所があるわけではありませんが、可能だと見えたこと、想像したことを行動に移すための引力がその場に発生しています。人間の本当のパワーが発揮されるのは、物事の在り様がどうであるかを決めるのは自分だ、つまり自分には発言権があるのだと知っているとき、そしてただ状況を報告するだけではなく、その状況を左右するアクセスを持っているのだと気づいているときです。

自身の言葉によって自分自身を発明するとき、可能性への冒険が始まります。ヘレン・ケラーはこう言っています。「安全なんてほとんど迷信です。もともと自然界に存在することではありません。人間の子供も大抵の場合は安全を感じていません。長期的に見れば、危険を回避することは、危険に身を晒すのと同じくらい危険なのです。人生は、大胆な冒険か、または、何もないかのどちらかです」

 

ゴパール・ラオ

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