魔法が現れる場所

ランドマークワールドワイド

ブレークスルーテクノロジーコースリーダー

ジェリー・ベイデン

存在についての大きな前提は、人生は次から次へと物事が発生し、時間は一方向に流れて逆戻りはせず、起きたことは変えられない、というものだ。だから、時間は一方向に流れるもので逆には進まないのかと問われると、軽い驚きを覚える。*

*1991年6月30日付サンフランシスコ・クロニクル紙掲載の、ピーター・コヴェニーと ロジャー・ハイフィールドの著書に関するチャールズ・ペティの記事「時間の軌跡」より

 

私たちの存在は、過去・現在・未来という存在ですが、しかし過去・現在・未来は絶対普遍の事実ではありません。仮に私たちが今話しているような時間が時間というものを与えているのだとすれば、時間とはどういうものなのでしょうか?

 

仮に人間は時間の中に生きることはできないが、可能性の中では生きられるとしたらどうでしょう? だとすれば、時間の中で重要であった数多の質問は片隅に押しやられ、新たな質問が浮かび上がってくるでしょう。

過去によって与えられた未来の中には、あまり心躍るようなことはありません。(過去に基づくのではない)未来が存在する唯一の場所は、私たちの話すこと、聞くことの中だけです。それは、特定の会話に参加することによって可能性としての未来を創作できるということです。

 

 

これは、過去から出発してある特定の目標に向けて作った可能性に取り組む、という話ではありません。そのコミットメントから出発して現在に戻って取り組んでいくということです。コミットメントは決意のことではありません。それは、朝、私たちを元気よく起こしにくるもの、文字通り私たちに命を与えてくれるものです。行動を呼び起こし、自己の表現を呼び覚ます場所です。

 

 

可能性というコンテクストの中で人生を生きることには、大きな自由と喜びがあります。時間(過去、現在、未来)の中で生きることは、「何かをするため」どこかに「至るため」「何かになるため」に適しています。可能性の中で生は、在るということ(being)には相応しいものです。そこは、「魔法のようなこと」ではなく、魔法そのものが確たる証拠として出現するからです。

 

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