「自分」が古い枠組みから自由になるとき
コンテンツ(内容)ではなく、思考の枠組み(コンテクスト)を扱うと、何が可能になるでしょうか?
ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
マナル・モーリス
古代ローマの戦車や荷車は、馬2頭が並んだ幅に合わせて造られました。
ローマ帝国中のすべての道も、馬2頭分の幅に合わせて敷かれていました。
四輪馬車も、列車も、車も、すべてそれに倣って同じ幅になりました。
時代は流れ、宇宙に行ける時代になっても、固体燃料ロケットエンジンは、馬2頭の幅に設計しなくてはなりません。輸送に鉄道を使うからです。
最先端の輸送システムの基本設計ですら、二千年以上の昔の「馬2頭分の幅」に規定されているのです。
このように、受け継がれ、伝えられてきた知識は、ある意味では「他の皆が決めたこと」に過ぎませんが、私たちは往々にして、良くも悪くもその制約の中で生きていくことになります。
私たちのコンテクスト、つまり物事の捉え方の「器」が、自分の価値基準や限界や日常生活での方向を決定します。コンテクストは外界に、私家版の「現実」を無理やり押し付けます。
コンテクストの変化には時間がかかるかもしれません。それは変化自体に時間がかかるからではなく、私たちが「コンテンツ(内容)」のレベルで処理しようとするからです。
コンテンツを扱っているとき、私たちは、世界に新たな可能性を創造するのではなく、既存の世界をただ押し広げているに過ぎません。
コンテンツではなくコンテクストの次元で動くことができると、「自分は誰であるか」を古い枠組みによって規定されなくなります。
これは古い枠組みから逃れた、ということではなく、自動的で反射的な思考から脱した、ということです。
世界が新しい見え方で見えるということほど心躍ることはありません。何か新しいことが一つ見えるのではなく、あらゆることが新しい仕方で見えてくるからです。
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