記事 少女たちのために
登山経験ゼロの女性サラが、ランドマークワールドワイドのブレークスルーテクノロジーコースに参加して世界の山々を踏破し、ネパールの少女たちを援助した。
記事 ダイアン・ボルジック
(訳注)本文は2014年12月に寄稿された記事です。
初めて山に挑んだとき、サラ・サファリには、雪上ハイクも、テントも、寝袋も、何もかもが初めての体験だった。
サラに、登山への願望が突然のひらめきのように芽生えたのは、2011年に「ランドマークワールドワイド・ウィズダム・アンリミテッド・コース」に参加したときだ。登山経験はゼロ、登ろうと思ったことすらなかった。登山が自分の情熱の対象となり、しかも、地球の反対側で悲惨な状況に置かれている人々に影響を与える手段になろうとは、そのときのサラには知る由もなかった。
サラは、自宅があるロサンゼルス都市圏にほど近いところで、初登山に挑んだ。標高4418mのカリフォルニア州のホイットニー山である。アラスカを除く米国の最高峰だ。さらに二度その山に登った後に、次はアコンカグア山をはじめとするエクアドルとアルゼンチンの四峰を制覇した。アコンカグア山は標高6960m、西半球で最も高い山だ。サラはその後、米国ワシントン州のレーニア山に登った。これら全てを2年足らずで踏破したのだ。
その合間に、33歳の電気工学の教師であるサラは、カリフォルニア州立大学フラトン校での教職を手にした。そこで、ジェフリー・コトラー博士*と出会い、さらなるインスピレーションを得ることとなる。
* 訳注 カリフォルニア州立大学フラトン校の名誉教授。カウンセリング、心理学、アドボカシー、教育分野の第一人者。
コトラー博士は「エンパワー・ネパーリ・ガールズ(ネパールの少女を力づける)」という財団の最高責任者でもある。13年前に研究でネパールを訪れていたときに、博士は現地の少女たちが突然消えてしまうことに気づいた。ネパールでは、生活が苦しくて子どもを養えない家庭が多く、若い娘が性奴隷として売られていくことが珍しくないと知った。
アジアなどには、HIVに感染した男が処女とセックスをすれば治るという迷信が信じられている地域がある。そのため、少女たちの多くがHIVをうつされて、エイズとなって死んでいく。コトラー博士は、少女たちをこの悲惨な状況から救済するため財団を立ち上げた。この団体は現在、ネパール全土で300人の少女が学校に通えるようサポートしている。サラは即座に、自分の登山活動をこの運動の支援に捧げることを決めた。
この財団がひとりの女の子を1年間小学校に通わせるには、150ドルが必要だ。「ワイン付きディナー2人分ほどの金額にすぎません」とサラは言う。資金集めの方法など何も知らなかったが、それは別段、サラが次の登山を募金集めに活用することを妨げはしなかった。今回の山は、ヒマラヤにある、世界で6番目に高いチョ・オユー山だ。
サラは、その8月、チョ・オユーに向かうときに、今回の募金で学校に通えるようになる少女たちに直接会っておこう、と心に決めていた。ネパールの首都カトマンズにある学校を訪ね、30人の少女に会うことができた。少女たちは並んでサラを出迎えてくれた。そして、一人ひとりがサラに歩み寄って、「カタ」と呼ばれる伝統的な儀式用のスカーフを贈り、幸運を祈り祝福してくれた。
サラは言う。「女の子たちの心の大きさ、感謝の気持ちが私の心を打ちました。私は彼女たちを元気づけるため、しっかりね、一生懸命勉強してね、と言うために行ったのですが、力づけられたのは私の方でした」
首都カトマンズからチョ・オユー山頂までの往復には、7週間以上かかった。しかもその半分以上は、ベースキャンプより高度の高い山の上だ。このときサラに力を与えたのは、ネパールの少女たちに対する自らの決意、それとランドマークワールドワイドでの経験、特に説明会リーダーとして受けた訓練だった。それらはサラに、この困難な登山に向き合う力を与えてくれた。
「ある日、テントの中で座っていたときのことです」サラは語る。「呼吸が苦しくて、頭痛がして喉も痛い。お腹も下していました。寒さやよく眠れないことに、ほとほとうんざりしていました。これから先にくぐり抜けていかなくてはならないさまざまな困難にも、うんざりしました。登山開始から20日目のことで、あと20日の行程が残っていました。本当に家に帰りたくてたまりませんでした。そしてその日以降私は、毎日、「無から自分自身を創作し直す」ということをやらざるを得なくなりました。私はランドマークワールドワイドの説明会リーダー養成プログラムで、自らに力を与えるコンテクストを創作するということを訓練されています。山の中で私は全身全霊で創作しました。すべての細胞に、さあ両脚に力を送るんだ、さあもう一歩前へ進もう、そしてもう一歩、もう一歩だけ前へ進もう、と。そしてまたその創作を繰り返すのです——そうよ、もう一歩!と。そんなふうに、自らの限界を繰り返し押し広げ、一瞬一瞬自分に力を送り続けていきました」
「長期間これを繰り返し行なったため、コンテクストを創作して自分の限界を押し拡げる、ということに慣れました。帰国したときには、どんな小さなことに対しても、有難くて仕方ないと感じるようになっていました。人に対する私の器も広がって、相手に、言いたいことを何でも言わせてあげられるようになり、深い平安を感じています」とサラは言う。
登山はサラを、自分で自分の限界を設定してしまう考え方、例えば「夜によく眠れなかったら次の日は頭が働かない」とか「167cm/52kgの身体では大した荷物は運べない」などの考え方から解放した。
食べ物との関係もトランスフォームした。標高の高いところでは、登山者の食事内容は極限まで制約される上、食欲を失うことも珍しくない。「私は自分に無理矢理にでも食べさせました」サラは言う。「でないと、体重が落ちて途中リタイアということになりかねません。山から戻った今は、どんな食べ物に対しても、心からありがたさを感じます」
「もうひとつ素晴らしかったことは、一体感です」とサラはつけ加える。「世界各地から150人もの登山家がやってきていました。そして皆が一本のロープで繋がっているかのように、共に登りました。お互いの名前も知りませんが、互いに命を預け合っていました。誰もがこの登山中に挫折を感じ、泣きました。一人残らず、全員が経験することなのです」
サラは、ランドマークワールドワイド社への感謝を表明して、山頂までランドマークワールドワイドのバナーを携えていった。ランドマークワールドワイドの説明会リーダープログラムを卒業することが、本格的な登山を学ぶ第一歩だ、というのがサラの持論だ。
現在サラは、3月に予定している次の登山に向けて、毎朝、高負荷のトレーニングに励んでいる。次に挑戦するのは世界最高峰、過酷で偉大なエベレストだ。今まで挑んだどの山よりも、はるかに困難な登山となるだろう。サラはエンパワー・ネパーリ・ガールズのための寄付を呼びかけて、「1000ドル以上の寄付をいただいた方には、お名前を書いたバナーを持って、世界の頂上に登ってきます」と言った。
チョ・オユーのときと同じく、危険な境遇にあるネパールの少女たちのためのコミットメントが私のエベレスト登頂を支えてくれる、とサラは言う。「少女たちのことを思ったらやらざるを得ません。あの子たちのために、山頂に行き着こう、と思います」
エンパワー・ネパーリ・ガールズについての情報や寄付などは、以下のウェブサイト(英語)をご覧下さい。
www.empowernepaligirls.org
サラのエベレスト遠征を後援したい方は、次の彼女のメールアドレスへご連絡ください。
saraeverest2015@gmail.com.
(訳注) このエベレスト遠征はすでに終了しています。
ブレークスルーテクノロジーコースなどのセミナーに関する詳しい内容は、
ランドマークワールドワイドの公式サイトをご覧ください。
ランドマークワールドワイド公式サイト