ブライアン・レグニアの生涯を祝福する

文章 マイケル・ドッド、2021年12月7日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ランドマーク・フォーラムリーダーで、ランドマークのウィズダム部門の創設者であったブライアン・レグニアは、パーキンソン病による合併症のため2021年12月6日に78歳で亡くなりました。長年のパートナーであるトービン・ホワイト、妹のシェリ・ウォール、そしてブライアンを慕う大勢の人たちを後に残して旅立っていきました。

 

まさに非凡な人生を生きたと言っても決して過言ではありません。シカゴで生まれ育ったブライアンは、若い頃にサンフランシスコに居を移し、1971年にワーナー・エアハードに出会い、その後ほどなくしてワーナーが創設したエストのスタッフになりました。

 

ワーナーの側近スタッフから始めたブライアンは、高度な訓練を積み、ランドマークで「コンサルタント」と呼ばれるスタッフになりました。彼が開発した「ウィズダム部門」のプログラムやコースは、今も人気があります。現在提供されているウィズダム部門のほとんどのプログラムは、ブライアンがデザインしたものなのです。その後、ランドマーク・フォーラムリーダーに任命され、「パーソナルコーチング部門」と呼ばれる部門のプログラムも開発しました。

 

毎年5月に開催されるランドマークのグローバル・トランスフォメーション・カンファレンスを創設したのもブライアンです。このカンファレンスには長年にわたって、人類の未来にとって重要な課題に、意味のある変化を生み出すことを志す数多くの実業界のリーダーや地域のリーダーたちが集結しています。

 

一方、私生活でのブライアンは、「一緒にいると、自分のままでいられる」と周囲の人たちから言われていました。近しい人々は、ブライアンの笑顔を見たり笑い声を聞いたりするだけで気持ちが明るくなったと言います。しっかりした現実感覚を持った人でもあり、どのような議論においても、「実際に在ることは何か」についての明晰な視座を提供できました。話せば真実を語り、何の垣根も設けず、溢れんばかりの「空っぽで意味なし」を気前良く人々に提供し、彼と対話したすべての人に、効果的な行動が可能になる「自由」を与えていました。

 

ブライアンについて語り始めれば、何日でも、何週間でも、何年間でも話は尽きませんが、彼の本質を見事に表した彼自身の言葉を最後にご紹介しましょう。

 

「奇跡の定義——軽視したり、無視したり、ごまかしたりなどしなければ、現実に対するあなたの見方を変えざるを得ないような出来事」

——ブライアン・レグニア

 

この定義によれば、ブライアンの人生は、まさに奇跡そのものでした。