記事 美女モデル、イケメンモデルに変身

ニューヨーク・ポスト
エリオット・セイラーズ
2013年10月21日

当紙は先週、ロングヘアの美女だったフォードモデルエージェンシー(訳注1)所属のモデル、エリオット・セイラーズさんが、男性モデルとして自らを改造する決意をした経緯を詳細にわたって取り上げた。ニューヨークのハーレム地区在住、31歳のエリオットさんは今回、このトランスフォメーションを開始した日のことを語ってくれた。

(訳注1) ニューヨークを拠点とする大手モデル事務所

2012年10月1日、私は自分の人生がその後いかに変貌を遂げるかに関して、まったく予測ゼロの状態で、ウェストビレッジのFSC理髪店に入っていきました。

「あいにく当店では、女性のショートスタイルは扱ってないのですが」と言われ、私は笑って答えました。「わかってる。私は男性に見えるようカットして欲しいの」

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髪を切るエリオット・セイラーズさん トランスフォメーション開始

「私にとっては重大なことなの」と言うと、
理髪店のスタッフは、わかりました、と引き受けてくれました。

そのあとのやりとりはこんな具合です。
スタッフ「お名前は?」
私「エリオットよ」
スタッフ「本当に?」
私「ええ。身分証明書、見せましょうか?」

私は、夫を担当しているトーリン・ディケイターを指名しました。

椅子に腰掛け、ディケイターさんに言いました。
「泣くと思うけど、心配無用よ。髪を切りたいのは本気だから」
「私は男性モデルとして仕事をしたいの」と説明しました。

彼は言いました。「初めて聞くけど、絶対カッコいいですよ!お客さんが僕にとっての第1号だな」

このときは、元オリンピックの女性水泳選手ケーシー・レグラー(訳注2)もまだ、フォードエージェンシーと、男性モデルとしての契約を結んでいませんでした。誰もやったことがなかったことなのです。

(訳注2) 元オリンピック水泳選手で、やはり「男性モデル」としてフォードと契約した女性。

そもそも男性モデルとして活動するという発想は、2011年の夏に思いつきました。その後、2012年9月の最後の週末に、自分を高める教育プログラム「ランドマークワールドワイド・ブレークスルーテクノロジーコース」に参加して、自分が作り出したかったものが明確になりました。私が作り出したかったのは、自分のキャリアだけではなく、自分の人生そのものをデザインできる機会でした。

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エリオット・セイラーズさんと夫のアダム・サントス-コイさん

ランドマークワールドワイドのブレークスルーテクノロジーコースが終わった日曜の夜、夫アダムに、明朝に実行すると言うと、アダムは大いに乗り気で、「すぐにやろう!いいじゃないか」と賛同してくれました。

いろいろ言われるだろうとは思っていました。母は反対しています。でも私は気にしません。母の愛情はなにひとつ変わりませんから。

その朝、出がけに、携帯で写真を撮ってとアダムに頼むと、彼は「ビデオを撮ろう!」と言いカメラを持ってきました。

理髪店の椅子に座ると、トーリンが私の髪を分け、クリップで脇に止めました。バリカンの音で、また涙がこみ上げてきました。でも、涙はこぼすまいと決めていました。

髪は大した問題ではありません。所詮、髪です。涙の本当の理由は、私のこれまでのモデル人生、自分の職業です。つまり、慣れ親しんだ「私」にサヨナラを言うこと、そして、これから始める全く新しいことの先行きが予測できないことへの涙でした。

心臓がドキドキしました。「もう戻れない。決定的。男性に見えるように、髪を後ろにまとめて帽子の中に隠すのとは訳が違う」と考えました。

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髪を短くして男性モデルとして再出発するまでは、
エリオットさんのキャリアは下降線をたどっていた。

髪を切って、私がまず聞いた質問は、「まだ、女性に見える?」

髪を剃った部分に触れてみました。もっと固い感触かと思っていましたが、柔らかでした。人にどんな風に見られているかを知りたくて、周りを見回しました。男性に見えることで、人の見る目がどれほど変わったか知りたかったのです。

今では、人の視線が私に、以前より少しだけ長く留まるのがわかります。しかし、それが、私の性別を見分けようとしているからか、それとも、「髪型がイイね」と思っているからなのかはわかりません。

この選択を後悔したことはありません。世界に今までとは違う何かが可能である、ということに私は立場をとっています。自分だけのことではありません。自己表現とトランスフォメーションと自由のための立場です。

 

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