失敗は、価値あるゲームを次のステージへと導く

ランドマークワールドワイド

ブレークスルーテクノロジーコースリーダー

バリー・グライダー

 

大きなコミットメントや、やる価値のあるゲームに取り組んでいれば失敗はつきものです。失敗を効果的に扱うには、今取り組んでいる事柄それ自体が行動への扉を作り出してくるような、そんな特別な環境、つまり、特別なあり方が必要になります。それは、「何かを目指している・目指すものがある」というようなあり方です。

 

物事が「失敗だ」として見えてくるとき、それは一つの解釈であって、事実ではありません。(状況が自分にどのように現れるかを転換させられるという考え方が、トランスフォメーションの核心です)。「世界は、そこにある。しかし世界の描写は、そこにはない。世界は喋ったりしない。私たち人間だけが話す」。* このことを知ると、言葉が世界を形作っているということが、まさしく現実になります。

* リチャード・ローティ著『偶然性・アイロニー・連帯』(1989年)より引用

可能性は、本来現実ではありません。私たちが、可能性を現実として創作するのであり、その創作を実現することに立場を取るのです。状況や環境が完璧などということはあり得ません。しかし、可能性に立場を取ることで、そして、目指すことを実現するのだと勇気をもって大胆なコミットをすることで、人生が違って見え始め、あなたはその人生に新しく関わりだします。すなわち、自分自身と現実とを全面的に再定義することになります。

 

物事が後退した、間違った、失敗した、と見えたとき、そこで負のスパイラルに陥ってしまうのではなく(それこそが最悪の停滞でしょう)、前進しながら軌道修正を行い、発見し、奇跡を作り出していくのです。ここでは融通無碍こそが絶対に欠かせない技となります。今あなたが取り組んでいるゲームにとっては、その失敗はゲームの成就のための踏段となり、ハシゴとなり、手段となります。そのときに生み出されるもの、引きつけられてくるもの、そしてあなたが引き起こすこと、それらには、物事の進路を新たに形作っていく力が宿っています。

(訳者注)チャード・マッケイ・ローティ(Richard McKay Rorty、1931年10月4日 – 2007年6月8日)は、アメリカ合衆国の哲学者であり、ネオプラグマティズム(Neopragmatism)の代表的思想家である。