自分自身を発明するためにーランドマークワールドワイド

私たちが「自分」と呼んでいるものは何なのでしょう。改めて検分することで一体何が可能になるのでしょう。

ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
バルヴィンダー・ソーディ

ほとんどの人にとって、「私」とは位置に関係することだ。(「あなた」はそこにあり、「私」はここにある)。つまり「私」とは、時間と空間の中の一つの位置であり、これまでの経験や観点のすべてが蓄積されている一つの視座なのだ。

 

この「私」は、自分の肉体の中に位置する実体を備えた何かとして想定されているのだろうか。それとも、自分の心、家系、肩書き、フェイスブックのプロフィール、預金残高といった、今までこれが自分だとしてきた意味や理解を維持するのに一役買ってきたものの中に存在するのだろうか。

 

私たちは大抵、この私というアイデンティティに偶然に「たどり着いて」しまう。その基となっているのは、基本的に、何かをし損ねた、あるいは何かであり損ねたと(意識していてもいなくても)見えたり感じたりしたことへの反応として、私たちが下してきた一連の決断だ。こうした「見かけ上の」失敗が起きたとき、私たちはどうやって埋め合わせをし、対応し、適応するかを決断してきたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

どれほど過去の決断によって今現在の自分が形作られているか、認識されることはない。私たちは、決断してから1年、10年、さらに40年経ってもなお、これが自分だと決めたアイデンティティにしがみついている。そして、そのアイデンティティは、自分自身へのアクセスを覆い隠し、今、何が起きていようと、それをパワフルに扱うすべを奪う。とはいえ、自分のアイデンティティの外側に出ることは容易ではない。このアイデンティティは、これまでの人生を通して一定の厚みを獲得しているし、それが自分自身について知っていることのすべてなのだから。

 

全く別の自己が可能であるという考え方は、人を当惑させたり、否定されたと感じさせたりするかもしれない。私たちに「アイデンティティ」を与えている様々なものを一旦脇に退けてみると、

「いわゆる自己というものは自分の名前と同じくらい恣意的なものであることが分かってくる。それは、奈落の底を見下ろしつつ、『私』として知っていたものは、実は絶対的なものではなかったと初めて気づくようなことなのだ」。*

*コリン・ウィルソン著『精神寄生体』から引用。(オネイリック出版より1990年に出版(初版1967年))

 

しかし、その認識が生じた正にそこが、トランスフォメーションが起き、生きていく中で自分自身を発明できる場なのだ。このように自己というものを自らに対して明らかにすることは、人間であることの可能性そのものを一変させてしまうほど深遠な変化をもたらすことなのだ。

 

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