大失敗、大失態、大惨事 ・・・誰がそう決めるの?

なぜ私たちは「失敗」にパワーを奪われるのか? 「失敗」に効果的に関わり、そこからパワーを得るには?

ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
ゲイル・ルガシック

「元々fail しくじる・失敗する」という言葉は、単に成功していない、または期待が外れたということを表す動詞だった。そのうちüberfail(大失敗)、massive fail(大失態)、それに一番人気のepic fail(大惨事)といった名詞が派生した」*

私たちは失敗という概念を当然のように受け止め、改めて考えてみることもない。何かをある方法でやると決めてそれが上手くいかないと、あたかも、自分の側の失敗だと考える。その計画が失敗したのではなく、自分が何者かであることに失敗した、というわけだ。

成果や達成や成功を、自分の一部と見てしまうと、成果や達成や成功と合致しないことは何であれ受け入れ難くなるだろうし、力を奪われてしまう。自分が達成しようとしたことと、うまくいかなかったことに対する自分の態度や気持ちを区別しないと、(すなわち、起きたことと、可能性として存在することとを分けないと)、その起きたことと可能性の相違が「あり方における失敗」として解釈されがちなのだ。この解釈が体験をさらに重苦しくし、ただそこに存在できるという私たちの能力を間違いなく減少させてしまう。(すなわち、大失態や大惨事となる)

 

「上手くいかなかったこと」と効果的に付き合うことができれば、そこにはまさにパワーだけがある。「上手くいかなかったこと」に、「あり方の失敗」という意味を含ませるのではなく、取り組むべきは「あり方を発明する」という可能性である。人間であることの「ある」の部分に、まさに生きることの無限の可能性が宿っている。そこでは、その存在すら知らなかった「点」と「点」とを結びつけることができるし、考えもしなかった方向に進むことも、物事を自分ではっきりと見られる場所に立つことも可能なのだ。

 

*ベン・ジンマー “How fail went from verb to interjection,”(2009年8月9日 New York Times)を元に発展させたもの。引用文の元の文章はここから確認できます。

https://www.nytimes.com/2009/08/09/magazine/09FOB-onlanguage-t.html
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