トランスフォメーションに欠かせないもの「何もなし」
世界に対する自分の固定した意味を手放すとき、様々な可能性のための土台が生まれる。
ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
医学博士 ジョー・ディマジオ
訳注)この記事の最初の段落は、詩人ジョン・バーンサイドがThe Economist のライフスタイル誌「1843」(2014年9/10月号)の特集記事の中で、「これらすべてにどんな意味があるのか? 人生の意味とは何か?」について書いた文章を基にしています。
誰に聞いても分かるが、『これらすべてにどんな意味があるのか?』という質問から、その必然的な答えである『何もない』、に辿り着くのは実に簡単だ。意味は、それぞれの人の流儀や性質に従って作り上げられるもので、普遍的な公式があるわけではない。このような認識は、はじめは人を当惑させるかもしれないが、やがては、何かにどういう意味があるかは固定でも普遍的でもない、それは私たちが物事をどう見るか、何と言うかによって決まるのだ、という理解が訪れる。
確かに、外側には世界があり、その世界は私たちに、適応し、消費し、納税することを強いられる。それでもなお、自らが発明した様々な意味をもって抵抗する自由、創造する自由、人生を構築する自由が私たちにはある。
ヘンリー・ミラーはこう述べている。「人生自体には何の意味もないという明白な事実ゆえに、我々人間が人生に意味を付与していかなくてはならない」。
また、こうも述べている。「人生の目的は生きることだ。そして生きるとは目覚めていることを意味する。喜びに満ち、酔いしれ、心安らかに、神々しく目覚めていることだ」、と。そしてまさにこれが、人生に対して想像を超えるほどの無形の豊かさを付与する能力を、私たち人間一人ひとりに与えている。
*(以上、バーンサイド氏の文章に基づく)
私たちは、ほとんどすべてことに習慣的に何らかの意味を割り当て、あたかもそれらの意味が自分のあずかり知らぬ「実際の現実」であるかのように行動しています。これを認識したとき、私たちはまさに現実というものがどのように作られているかを目撃しているのです。
私たち人間は、物事すべてに意味があると知覚するような配線になっているため、この「無」「何もなし」との遭遇は、困難となることもあります。
「何もなし・無」によって、私たちは、自分が作った意味、つまり、私という人間を規定し、私の世界との関わり方を規定する様々な意味、健全な人間として生きる上で基本的なこととして掲げてきた様々な意味が、実際には固定したものではなく可変である、ということに向き合わされます。
自由としての「何もなし」に出会うには、何もなし自体に対する人間の生来の抵抗を突き抜け、その向こう側に行かなくてはなりません。
「何もなし」または「非存在」は、存在の反対側の面です。そして、暗闇を体験するまでは本当には光を理解できないのと同じように、「何もなし」、すなわちトランスフォメーションの本質的要素に対してオープンでないと、人という存在に何が可能なのかに対して全面的にオープンであることができません。
「何もなし」は可能性のための土台です。そして、可能性を創作していく中で私たちは、人間という存在には何が可能なのかを知ることができるのです。
ジョー・ディマジオ
ランドマークワールドワイド・ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
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