トランスフォメーションには深い驚きが伴う

「深い驚きは、合図なのだ。私たちが今、知覚したり思考したりしているのは、もしかしたらとてつもなく重要なことかもしれない、本当に役立つ発見や洞察なのかもしれない、と知らせてくれる。私たちを心底驚かせる物事は、私たちの行動に非常に強く影響し、非常に強力な学びとなり、既に知っている物事を設定し直す。驚きは、注意力を高め、集中させ、磨き、より鋭敏に、自分自身に物事を取り込むことを可能にする*」

* ジェーン・ハーシュフィールド 詩集『 Ten Windows: How Great Poems Transform the World 』をもとに編集

私たちは、人間であることでどんなことが入手可能なのかについて、改めて時間を取って考えることはあまりしません。したとしても考えるのはごく普通に自分の状態や特徴や特質について、つまり、自分のアイデンティティについてです。「私は・・・だ」という文章はアイデンティティーーつまり自分とはこういう人だという自己像ーーを形成するものです。その自己像の方向性が、それぞれの人の価値観を用意し、意味を授け、日々生きている人生の目的や限界を定めます。私たちは世界を、あたかも「固定したもの」かのように、あるいは今在るとおりのものだというふうに見ています。それが自分自身に対するアクセスや、人間であることの可能性へのアクセスを見えづらくします。他方、「私は今・・・であるかのように起きてきている」という文章は、ありとあらゆる構造を揺さぶり、人間であることによって何ことが可能であるか自体を一変させます。

 

 

 

 

 

「固定した」世界など在りはしないし、何もかもが「今起きてくる」(言語の中に出現する)世界なのだ、と気づけば、劇的に異なる結果が生まれ、自分自身を超えて拡大していくという、我々が本来持っている能力が見え始めます。言葉の力を知るためには、これが私という人だと考えていたものからのトランスフォメーションが必要です。そしてその転換が起きると、アイデンティティは固定したものでも、現実でも、今あるとおりでも無くなりますーーつまり、私たちの世界への関わり方がトランスフォームするのです。

トランスフォメーションは、このような深い驚きを伴うものです。将来の展望や今の行動を変えるにとどまらず、私たちの根底にある存在と解釈の構造を明らかします。トランスフォメーションは、何が可能であるかを形成し、その限界を決める恣意的な見方を取り除くことで、「私たちは何であるか」ということへの実践的な扉を与えます。

英語サイト
https://landmarkinsights.com/2015/09/transformation-carries-a-kind-of-deep-surprise/