ブレークダウンって、良いこと? 悪いこと? それとも行動への扉?

ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
バリー・テリー

 

 

 

 

 

 

 

ブレークダウンとアップセット(訳注 物事が思い通りに進まず、気が動転すること)には、大抵、両面性が備わっています。それが箱だとすれば、その内側には「避けられないこと」、外側には「あってはならないこと」と書いてあるようなものです。この両面が入り混じって、最初から人の正気を失わせる格好のお膳立てができ上がります。(さらにこの箱の上に、お馴染みのカバーがかかります。「彼らの・私の・これのどこが悪いか」という、あまり力づけにならないセリフの繰り返しが始まるのです。)

「物事がいかに間違っているか」の方に注意を向けていると、私たちの効果的に行動する力が失なわれます。気づく価値のあることは、「そもそも何かに対してコミットしているという背景がなかったら、ブレークダウンは存在しない」という点です。コミットメントは(それが宣言されたものであってもなくても)、種々の約束や期待の中に表現されます。仮にコミットメントを抜き去って、「いま在ること」だけを残したら、そこには何のブレークダウンもありはしないでしょう。ブレークダウンは、コミットメントがあるからこそ成立することです。ブレークダウンの背景には、(今発生しているこの事態を「ブレークダウン」とするような)どんなコミットメントがあるのか、に目を転じると、全く異なる種類のパワーが生まれてきます。

効果的な行動をする人たちは、自分がコミットしている事柄に対する様々な可能性を発明し、ブレークダウンは発生したらその都度対処していきます。また、そのブレークダウンをしっかりと完了させることに対して驚嘆に値するようなコミットメントを持っています。そこには、これは悪いとか良いとか、こうあるべきだ、こうあるべきではない、などは微塵もありません。コミットメントに不可避な、かつ、コミットメントが招く要素として「ブレークダウンがある」、ただそれだけです。このようにブレークダウンに向き合い、取り組むことによって、挫折や不満として体験されたかもしれないその成り行きが、発明や創造、包摂の価値のあるチャンスであるという起き方にシフトします。つまりその事態が、物事を前進させ、欠如していることを提供し、行動を導き出す力強いきっかけという「好機」として現れます。