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ランドマークワールドワイドのコースリーダーへのインタビュー。「私たちがお金に対して持っている解釈と、その影響について」

ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー

デイビッド・カニングハム氏が
カナダのトーク番組に出演
(ランドマークニュース編集部)

ランドマークワールドワイド・ブレークスルーテクノロジーコースリーダーのデイビッド・カニングハムは、カナダのラジオ放送局SiriusXMのトーク番組『Money Made Simple(お金を簡単に)』に出演し、私たちがお金に対して持っている解釈と、その解釈が人生に与える影響の大きさについて、番組司会者のブルース・セラリーと対談しました。ここでは、分かり易くするために一部編集してお届けします。

ブルース・セラリー お金とは何を意味するのでしょう。私は常々、お金を上手に扱うことに関しては、知識は、洞察には到底敵わないと思っています。

お金についての自分自身の考え方や行動の仕方を理解しておくのは、税法の勉強よりも遥かに重要です。興味深いことでもありますしね。ところが、洞察、つまり物事の本質を明らかにするというのは、決して容易いことではありません。

今日はお金についての事実と、その事実に対する解釈とを検討しましょう。

デイビッド・カニングハムさんは 個人および専門分野における成長、そして会社を発展させるための教育・研修を提供するランドマークワールドワイド株式会社のプログラムリーダーです。

こんにちは、デイビッド

デイビッド・カニングハム こんにちは、ブルース

ブルース・セラリー 早速ですが、お金の意味は人によって千差万別です。それは何故でしょうか?

デイビッド・カニングハム そうですね。私たちが人生を体験しているとき、つまり自分に何かが起きたときは必ず、その次の瞬間に、たとえ自分では気づいていなくても、起きた事に対して何かしらの解釈を持ちます。単純な例だと、誰かと話している最中に相手が時計をちらりと見た、とします。

それが起きたことです――「相手が時計をちらりと見た」 私たちは解釈を持ちます。たとえば、この人は私の話に興味がないのだ、というふうに。

誰にでも、子供から大人になるまでの間に、お金に関して様々なことが起きます。そのような出来事が起きたとき、私たちは解釈を持ちました。自分が解釈をしたのです。自分が出来事についてのストーリーを作ったのです。

その出来事があって以来、随分と年月が経って大人になった私たちは、金銭に対する一定の見方を持つようになっています。

いまやお金は何かを意味するものになっています。その意味は、これまでの人生での様々な出来事の中で自分でお金に対して下した様々な決断、つけた解釈、でっち上げたストーリー、それら全ての集積なのです。

ブルース・セラリー なぜ、それが問題なのですか? つまり、それはどんな影響をもたらすのでしょう、なぜ解釈がそれほど重要なのでしょうか?

デイビッド・カニングハム 二つの点からとても重要です。一つ目は、あなたや私が可能だと思うこと、つまり 人間が可能だと思うこと、という点です。ある人が何が可能であると思うかは、事実によって決まるのではなく、状況によってでもなく、そのような状況をその人がどう見るかによって決まります。

私は最近マラソン大会に参加しましたが、そこで脚の無い人と一緒になりました。その人は車椅子でマラソンを完走したのです。彼は何を証明したのでしょうか? 脚の有る無しがマラソンが可能であるか否かを決定するのではない、ということです。可能性の有無を決定するのは、状況に対する本人の見方なのです。

特にお金については、私たちは、長年にわたって蓄積してきた解釈から与えられる「見方」を持っています。そして、お金に対するその見方が、つまり実際のお金の有無ではなく、お金に対するあなたの見方こそが、あなたがお金に関して何が可能で何が可能でないと思うか、を決定しているのです。これが第一の重要な点です。

ブルース・セラリー クレジットカードの負債の場合を見てみましょう。クレジットカードの平均負債額は約3,500ドルです。平均負債額がこのくらいだと、実際の負債額の最高がどれほどになるかは想像がつくでしょう。仮にこれが事実とすれば、今のデイビッドさんの明確な話し方を当てはめると、この事実に対してはどんな解釈がくっついていそうですか?

デイビッド・カニングハム 2つの方向からのどちらかでしょう。一方の解釈は、「あれ、私はお金の扱いが下手だ」とか、「あれ、私は窮地に陥っている」などです。

ブルース・セラリー デイビッドさんはとてもソフトな言い方をなさいましたが、実際、私たちの心中では、「どうしよう、最悪だ」みたいな感じだと思います。

ブルース・セラリー その通りですね。そしてもう一つの方面からの解釈は、「それほど酷くはない」、「これくらい大丈夫」、「普通だ」などでしょう。

方向は違っても、どちらも3,500ドルの負債についての解釈です。そして人間は、3,500ドルそのものを扱いません。3,500ドルについての解釈の方を扱い始めるのです。

すると、例えばそのときの解釈が、「私は窮地に陥っている」であったとしたら、その人の感情、思考、何をしようと思うか、またはしないでおこうと思うか、何が可能だと思うかなどのすべてが、「私は窮地に陥っている」という解釈に対する反応になります。つまり、「あれっ、3,500ドルのクレジット負債がある」ということに対する直接の対応は、していないのです。

ブルース・セラリー ということは、例えば二人の人が並んで立っていて、それぞれ、全く同額のクレジットカード使用明細を見ていたとしても、明細に対する感じ方はまったく異なる、ということがあり得るわけですね? そして、クレジットの残高に対して何をするかも、まったく違ってくるかもしれないと?

デイビッド・カニングハム それを決定しているのは、3,500ドルそのものではなく、3,500ドルについてのその人の解釈なのです。

ブルース・セラリー デイビッドさん、ご自身がリードされているプログラムの中でも、この特定の分野について参加者と対話したり、コーチしていらっしゃると思います。

参加者は、「自分はお金にだらしがない」とか、「私は窮地に陥っている」が事実であるという自分の見方に、当然しがみつきますよね。その解釈以外の解釈などあり得ない、と天に対してだって抗議するくらいの勢いでしょう。

その解釈が事実ではなく、解釈だと掴めたら、真っ白なキャンバスを手に入れるわけですね。

デイビッド・カニングハム その通りです。時々参加者にこんなことをやってもらいます。白い紙の真ん中に、上から下まで縦線を引いて、左右二つの欄を作り、左の欄の一番上には「事実」、右の欄の上には「解釈」または「ストーリー」と書きます。それから何が事実で、何が解釈かを厳密に切り分けていく作業を行います。非常な厳密さが要求される場合もあります。何の議論の余地もなく、誰からも反対がなく、目にも見える――するとそれが事実であると分かります。

反対する人が出るかもしれないなら、それは解釈です。誰かが作ったこと、事実に追加されたことです。この切り分けができるというのが、非常に重要なのです。

ブルース・セラリー 事実と解釈を切り分けたら、その次は何でしょうか? 参加者があなたの主張を喜んで受け入れたとします。「そうか、そうなんだ、これは解釈かもしれないな。別の解釈もあり得るのかも」、とね。

すると参加者はどうなりますか、何をしますか?――はてさて、コストコ(アメリカ生まれの会員制大型スーパー)で新しい解釈を買ってくるわけにも行きませんよね? 参加者は新しい解釈をどこで手に入れるのですか?

デイビッド・カニングハム 信じられないかも知れませんが、私は参加者に、新しい解釈を作ることは推薦していません。もっと効果的なことがあるからです。

ブルース・セラリー と言いますと?

デイビッド・カニングハム 解釈を事実としてではなく、解釈として掴むと、それは、真っ白なキャンバスが手に入ったということです。ですが、そこで新しい解釈を作ってしまうと——元の解釈が、「私は窮地に陥った」だったとしますね。そしてその人が、「そうか、これが解釈だということは分かった。では今度は、『それほど酷くはないよ』という解釈に作り変えてみよう」としたする——するとどうなるかと言えば、残りの生涯を、一体どちらの解釈が真実かという論争に費やすことになるのです。

ブルース・セラリー なるほどね。

デイビッド・カニングハム ブルース、ここで決定的に重要なのは、どちらも真実ではないと掴むことです。どちらとも解釈なのです。文字通り、「解釈」ですから真実ではありません。

そこが掴めたら、ただ、「そうか、事実は3,500ドルのクレジット負債がある、だな」となるでしょう。解釈なしです。何の解釈を持つこともありません。事実を、ただ事実とするだけです。

そうしたら、どうなると思いますか? 3,500ドルについて何の解釈も付いていない真っ新な白いキャンバスが出現します。そして気づきます。文字通り、いくばくかの心の平安あることに。自由を感じ始めます。

その瞬間の、新しい解釈を考えつくよりももっと効果的なことは何かと言えばね、ブルース、自分自身のために何か新しい可能性を発明すること、創造することです。自分は力のある人間である、自由な人間である、などの自分自身のための新しい可能性です。例えば、「そうだ、自分はお金に強い人であっても良いはずだ」、「自分はお金に対してクリエイティブであってもいいじゃないか」。これは解釈とはまったく異なることです。以前なら「可能だ」とは決して言ったりしなかった、何か新しいことを「可能だ」と、文字通り、言葉にしているのです。

そしてこれは、白いキャンバスを手に入れたときにだけ、起きることです。

ブルース・セラリー そのプログラムに参加した人は、あなたから見るとどんな成果を手に入れていますか? 現実にお金の問題に取り組んでいるからこそプログラムに参加しに来たわけですよね。人生でお金が非常に厄介な問題だった。後からその人があなたのところに戻って来た——その人たちと翌週、または翌月、または翌年再会したら、彼らはどんなことを言いますか? 参加者が、「やあデイビッド、プログラムをリードしてくれてありがとう! あのコースから私はコレコレを得たよ」と言うのは、どんなことですか?

デイビッド・カニングハム 三種類あります。最初に出てくるのは、参加者自身の自己イメージ、自分自身との関わり方についてです。何であれ、これまでその人の力を奪ってきたものが、文字通り、無くなっています。消え去っています。

2番目に出でくるのは、お金について、他人と言い争うことが無くなったということです。特に既婚者や恋人がいる人、誰かと金銭的な契約のある人が、その相手との言い争いをしなくなっています。口論の源は大抵、自分が持っている解釈です。人は事実ではなく、解釈について言い争いをするのです。

3番目に出てくるのは、何か起きたとき、前には考えもしなかったような行動を取っていた、ということです。例えば、クレジットカード会社に電話をして負債の減額を依頼したり、前には電話しようなどとは思ったことのない人に話しをして、自分のビジネスに投資してもらい、以前には見られなかった、新しい収入源を手に入れたり、などです。

繰り返しますが、私たちが何を可能だと考えるかの限界を規定するのは、お金そのものではなく、お金に関する解釈なのです。

ブルース・セラリー 非常に興味深いですね。デイビッドさん、洞察に富んだお話をありがとうございました。シンプルで嬉しいけれど仮借なく複雑、という両面がありました。それは、今日紹介されたのが、お金についての全く新しい見方、新しい考え方、行動の仕方だったからですね。デイビッドさん、今日はお時間を頂き、ありがとうございました。

デイビッド・カニングハムさんは、個人および専門分野における成長、そして会社を発展させるための教育・研修を提供するランドマークワールドワイド株式会社のプログラムリーダーです。同社のウェブサイトは以下の通りです。

 

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