記事 「ステージドア」、オーストラリアにシナトラを出現させる

歌手という可能性を創作したデイビッドは、老人ホームでのショーで、認知症のお年寄りたちに奇跡を引き起こす。

ミンディ・サリバン

曲が始まり、バンドが紹介され、デイビッド・ワトキンス氏と「ステージドア・エンタープライズ」の演奏が始まると、誰もが立ち上がって踊り、一緒に歌い出さずにはいられない。オーストラリアのシドニーで、彼らのショーに参加できる幸運な人たちは、まさにそんなふうだ。デイビッドと、彼が率いるラットパック*専門のバックバンドは、聴衆を惹き込む名人だ。客席と一緒になって手を取り合って踊るこの和気あいあいとした雰囲気は、並大抵のショーではお目にかかれない。

*訳注) ラットパック 20世紀のアメリカを代表する歌手フランク・シナトラを中心としたジャズグループ

デイビッドの故郷、英国ウェールズ地方は「誰もが歌う」土地柄で、自身も劇場と歌とダンスに囲まれて育ったそうだが、デイビッドが自分でパフォーマンスする喜びを発見したのは、20歳でオーストラリアに渡り老人ホームの看護助手をしていたときだった。

デイビッドは老人ホームの入居者のためにピアノを弾き始めた。しかしその時は、それ以上のことをする勇気はなかった。デイビッドは、この仕事で成功できたのはランドマークワールドワイド・ブレークスルーテクノロジーコースに参加したおかげだと言う。彼はブレークスルーテクノロジーコースの中で、「自分は歌手である」という可能性を創作したのだ。

デイビッドは子供の頃にいじめにあい、また同性愛を毛嫌いする者たちからの暴力も受けた。十代はまさには地獄で、自殺も考え、鬱状態だったと言う。その頃「女の子みたいな歌い方をする」と言われたため、音楽が好きでたまらないのに絶対にソロでは歌わなかった。気づかぬうちに「自分は不十分な人間だ」「僕の歌を好きな人はいない」「自分はどこか変だ」と決めていたのだ、と言う。

そんな考えがデイビッドの人生を長年にわたって支配してきた。職を転々とし、鬱と戦う日々だった。デイビッドは言う。「僕は人生で何一つ成し遂げたことがありませんでした――ある日ランドマークワールドワイド・ブレークスルーテクノロジーコースの中で、今までの考え方を手放してしまおうと決心するまではね」

デイビッドは小さな一歩を踏み出した。自分が働いていた老人ホームの入居者に向けて歌を歌い始めたのだ。デイビッド曰く、「自分のおじいちゃん・おばあちゃんに歌うようなもので安心して歌えました」。そんなふうにして歌っていたある日、デイビッドは自分が、多分人生で生まれて初めて自由を感じていることに気づいた。歌えば歌うほど気が晴れいく。気分が高揚し、生きる喜びを感じる。さらには、聴衆が自分を完全に受け入れていることまで発見した。それどころではない、愛されている、とすら感じる。デイビッドは、自分が感じる歌う喜びを、聴衆たちも感じているということに気づいた。

デイビッドは『オーストラリア』という有名な映画のダンサー役を射止めた。またランドマークエデュケーション*の「自己表現とリーダーシッププログラム(SELP)」に参加して、オーストラリア退役軍人会「レガシー」のために資金集めをする個人プロジェクトを企画した。映画館を一晩提供してもらって『オーストラリア』のチャリティー上映会を開催したのだ。映画の記念品を寄贈してくれたFOX社をはじめとする企業の協賛も得て、退役軍人会「レガシー」のために2500ドルを集めた。デイビッドはこのプロジェクトを「オーストラリア――彼らが残してくれたレガシー」と名付けた。

*訳註 社名変更して、現在はランドマーク・ワールドワイド社

ランドマークワールドワイドのプログラムに参加しているときに、シドニーのセンターマネジャーから、「気分が塞ぐことについて医者に相談してみてはどうか」と勧められたのだが、デイビッドはこれに深く感謝している。そのとき初めて「注意欠陥多動性障害(ADHD)」との診断がつき、薬剤による治療が始まったからだ。ここからデイビッドの新しい人生の一章が開かれた。生まれて初めて明晰に物事を考えられるようになったのだ。デイビッドは今の自分の成功があるのは、これまで自分が感じてきた様々な精神的困難を通して、老人ホームの入居者たちが日々経験している困難を理解できたからだ、と信じている。

デイビッドは、マーケティングのアイデアを一つ思いついた。地域の老人ホームに手紙を書いて、入居者の娯楽のために自分たちのバンドを雇ってみないか、と提案することだ。その反響はたいへんなもので、以来デイビッドは、老人ホーム向けの公演で生計を立てている。

デイビッドは、老人ホームでのパフォーマンスをとても大事に思っている。アルツハイマー病などで人生が一変してしまったお年寄りたちの暮らす老人ホームで、歌とダンスからなるショーを週5回から7回披露している。そこで彼は音楽の持つ力に気づいたのだ。どうしてそうなるのかは分からないが、音楽はアルツハイマー病が作り出した壁を突き抜けて、毎回、奇跡としか言いようのない結果を引き起こすのだ。ある入居者の娘さんは、人と一切コミュニケーションをしなくなって4年以上たつ母親が、デイビッドのショーで一緒について歌ったあとは、ほとんど普通に会話するようになった、と語っている。人と会話をしなくなっていたお年寄りたちが、音楽に合わせて身体を動かし、ボディランゲージを使い、笑って踊って泣く姿が見られるのだ。

デイビッドはこう語る。「ある意味で非常に直面させられます。お年寄りたちは、私たちが一生懸命楽しませた分、楽しい反応を返してきます。その時私たちは、自分たちが歌っているのは、正に彼らの人生の背景に流れていた音楽なのだ、ということに気づかされるのです」

音楽に対するデイビッドの愛と情熱が、この奇跡を引き起こす魔法の源だ。しかし、スターになりたいかと聞かれると、デイビッドはこう言う。
「スターになりたいという自分のニーズを手放したときに、僕はこの人たちが必要とするスターになったのだと思います。認知症の患者さんたちの人生に、現実の違いを作ることができるのです。ほんのひと時でも、患者さんのご家族が、記憶を取り戻した家族と一緒に、以前のように過ごすことができたら、それはとても貴重なことだと思います」。

 
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