記事 承認ーーパワフルな空間を作り出す触媒

あなたにとって承認とは何ですか?このエッセイを読んで、真の承認を人生に持ち込みませんか?

ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
医学博士
ジョー・ディマジオ

「私たちは疑う。際限なく疑う。『疑うことからの自由』を差し出されたとしても、果たして受け取るだろうか。よしんば手にしたなら、その後何が起きるのだろう」
——トバイアス・ウルフ *

こういう前提から出発したらどうだろう。
——人間は本来、すでに十分に満たされている存在である。ここに立てば、人生を深く存分に生き切ることができる。単に「どこかにたどり着く」ためでも、何かを「直す」ためでも、または単に何かに「なる」ためでもない人生を生きられる。そして私たち人間は、人生に対しても、より力強く本物として、自由に、達成の可能性から取り組んでいける。
ただし、そのように人生を生きるためには、お馴染みの「すでに仕込まれた(デフォルトの)」気がかりを認識して、手放し、背後に置くことが必要だ。

褒められる、認められる、ということについて考えてみると、その承認が成功に対してであれ、貢献または人となりについてであれ、私たち人間は、「承認は乏しい・十分には得られない」という、一つの「吟味されざる背景」(見えてもいない、言及されてもいない、気づかれてもいない背景)越しに、承認を見ているのではないだろうか。

そのように見ざるを得ないような配線になっているとすれば、その配線は「何々をするために」という被膜で覆われている。様々な「何々をするために」は、自動設定で勝手に浮かんでくる気がかりに対処するためのもので、その気がかり自体は、もう記憶にも残っていないくらい昔の幼い頃に設定されたものだ。
そしてそれが今も稼働中であることに私たちは気づいていない。この力学を認識するだけでも、新しい可能性が手に入る。

「何々をするために」が無いときの承認とは何なのだろうか。
真の承認には、真偽も正誤もない。描写するものでも、報告、表現、命令、操作するものでもない。何かを起こすことでも、結果を作り出すことでも、自分または他人を良い気持ちにさせることでもない。ある人に関して承認することがない、ということはありえない。承認することは豊富にある。

本当に承認を生み出しているとき、私たちは文字通り「何もなし」に立っている。
私たちの存在そのものも、「何もなし」によって与えられている。そして、自分が与える、あるいは受け取る承認に、「何もなし」を持ち込むのだ。

「何もなし」は可能性のための土台だ。承認は、究極的には、今自分が創作しているものを「存在に持ち込んでくれる」。そこが、承認が非常にパワフルな触媒である所以だ。「自由としての責任」の始まりだ。これまで自分が「自分自身だと見なしてきたもの」との関係が変容し始めるところでもある。

承認は、私たちをより大きな未来に立たせ、それまでなかった新しい世界に足を踏み入れさせる。その世界の中で私たちは、人類には何が可能なのかを知るのだ。

* トバイアス・ウルフ『3 Minutes or Less: Life Lessons from America’s Greatest Writers (PEN/Faulkner Foundation, 2000)』から引用

訳注)
トバイアス・ウルフ(1945ー) 米国の小説家。代表作は『兵舎泥棒』『バック・イン・ザ・ワールド』など。


ジョー・ディマジオ
(ランドマークワールドワイド・ブレークスルーテクノロジーコースリーダー)

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