記事 ブレークスルーは可能性を言葉することから、もたらされ、創作され、生み出される

ブレークスルー的成果は従来の延長線上にはない。言葉の新しい用法が根本的枠組みを超えた新しい成果を提供する。                                                       

医学博士
ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
ジョー・ディマジオ

ブレークスルーは、「もしこうだったら」「こうかもしれない」「これが可能かもしれない」といったイメージを描くことから始まる。ブレークスルーは、たとえ達成までの道筋が見えていないとしても、とにかくその実現にコミットすることからやってくる。ブレークスルーは私たちが「作る」ものでもない。何かを作るというのは、既に存在するものを変えることに他ならない。ブレークスルーは、今存在しないものを存在させることなのだ。

ブレークスルーは不連続な結果だ。言い換えると、元々の出発地点と、着地点とを結ぶ線を引くことのできないようなところに着地している、ということだ。ブレークスルーは数値でも明確に示されるが、数量の世界の産物というわけではない。常にプラスの方向に動いていくが、加算と言う性質を持つものでもない。

ブレークスルーは、突如パワフルな洞察をもたらし、自分で勝手に決めていた限界を超えることを可能にする。ブレークスルーによって、自分がどういう人間であるかという感覚が変化し、人生の質が変化し、そして生きているという体験自体も変化する。ブレークスルーは、引き起こし、創作し、生み出すものだ――まず可能性としてそれを「言葉する」ところから。

普段、人間は、ブレークスルーのためのアイデアを出すために知恵を絞ったりはしない。ほとんど日々の暮らしの中の雑事に気を取られているからだ。途中で邪魔が入ったり行き詰まったりしたときはごく当然のように「より多くの」「より良い」または、「異なる」シナリオを考え出し、目指すものを達成しようとする。ところが、大抵は同じ枠組みの中で考えているため、ゆるやかな改善しかもたらされない。

しかしながら、「自分が何に取り組むか」も、「物事が自分にとってどのように現れるか」も、言葉によって象(かたど)られているのだとすれば、その言葉を生み出している私たち人間には、自らの人生を執筆し変容させる力がある、ということになる。言葉が私たちに提供するのは、自分自身や自分が誰であるかを直接左右できるアクセス、可能性の創作に対する直接的アクセスだ。ここで言う可能性とは「あれも可能、これも可能」という選択肢のことではない。人間の創造する力によって世界に付与される、境界を持たない一つの次元のようなものだ。

可能性として存在するものは、「より多く、より良く、今までと違うもの」という存在とは全く異なる影響を人生の質に与える。ブレークスルーは、非凡な人生を創作するところから始まる。それも、目指す場所としてではなく、出発点としての非凡な人生を。


ジョー・ディマジオ
(ランドマークワールドワイド・ブレークスルーテクノロジーコースリーダー)

 
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