記事 対話の特等席ーー「正しさ」を超えて

新しい未来を作りたいとき、それを可能にする「本物の対話の場」は、どうやったら生まれてくるのでしょうか?                                                        

By Larry Pearson
ランドマークワールドワイド
ブレークスルーテクノロジーコースリーダー
ラリー・ピアソン

「ほとんどどこの社会でも、『相手が先に殴った』、『相手から始めた』ということが、続く自分の行動を正当化するに足る根拠になると見なされています。後から出したパンチは、先に出したパンチとは法的にも道徳的にも意味合いが異なる、というわけです。しかしこの、やられた分をやり返してよし、という『仕返し同等の原則』には、問題点があります。それは、どこから数え始めるかが人によって違うということです。人は、こう考えます。『自分の行動はその前に起きたことの結果である』。言い換えると、相手の行動こそが、次の自分の行動の原因であり、かつ、自分の理由や痛みは、相手のそれよりも明確で妥当でリアルだと考えます」*

このような姿勢や考え方が、多くの人の行動の根拠に「なってしまって」います。「私が正しいのだ」という自分であるとき、その「真実」と表裏一体のもう一つの真実は、「相手が間違っている」です。もはや正確かどうかは問題ではありません。私たちはそれに「なってしまって」います。「こちらが正しくて相手が間違っている」という自分になっているとき、または、自分の意見や立場を正当化しているとき、その私が幸せで、活力や愛に溢れているということはあり得ません。「自分が正しい」と、活力や愛——どちらか一方しか得られないのです。また、自分の観点が正しいと固執することは、心を開いて他者の視点を検討するという可能性を私たちから奪います。

私たち人間は、人生で何を演じるかを選択することができます。「たまたまなっているに過ぎない今のあり方」をトランスフォームさせることを選んだとき、人間は自由の場、可能性の場へと足を踏み入れます。自分の観点や意見は、固まって動かないものから可変のものへ、閉じたものから開かれたものへと変化します。そこでは、一人ひとりに対話の特等席が与えられるのです。

*心理学者ダニエル・ギルバートのニューヨークタイムズ紙(2006年7月24日)コラムからの引用

 

 

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